創作について

好きだからできるのか。できるから好きなのか。

個々人によっては、ものによって向き不向きがあります。

少しの練習でハイレベルの絵が描けるようになる人もいれば、平均よりも膨大な時間を練習に費やさないとロクな絵も描けない人もいます。
前世の自分がしてきたレベルをそのまま受け継いでいるから、という説もありますが、能力というものは先天的なものを内包しているのは確かです。でなければ、人によってここまで差が生じることはありません。

最初から適正がある能力を知る目安に、他人から言われて初めて認識することが多数です。
自分では当たり前にあるものなので、気づくことすら難しいからです。

私も過去にいくつか褒められたものがあり、きっと適正もあるのでしょう。その気になればそれなりの技術になる気もします。
しかし、やる気がないのでまったく伸ばしていません。

好きこそ物の上手なれ

最初から結論は出ているだろうタイトルではありますが、どんなに適正があろうが本人にやる気がなければ意味がない、持っていないに等しいのです。
どんなに下手でも、好きになってしまったものはしょうがない。抗うことはできません。技術云々ともかく、そこへ意識は勝手に引っ張られていきます。

技術よりも、目標へ向かう情熱とその行動が重要になると切に思います。
何か目標を持つと、そこへ向かって突き進むことになりますが、どうしても継続する力が必要になります。
継続はただ淡々とする行動が大事ではありますが、その根底には「これをする」という決意の気持ちがあるはずです。

情熱、目標、決意。バラバラな言葉ですが、どれも繋がっているのではと思います。

神絵師がはびこるネット界隈。落ち込んでしまう日も多々ありますが、少しでもそこへ近づくための「よし描くか」という気持ち。
千里の道も一歩から。道のりは遠くとも、私たちは挑まずにはいられない。そんな心情で描き続けている人もきっといると思います。

趣味と仕事の狭間

好きだからできることは趣味。
できるから好きかもしれないことが仕事。
それぞれ、そのように繋がりやすい傾向にあります。
趣味にはいくら情熱を入れても良しですが、仕事に無駄に入れ込むと心身に疲労をもたらす恐れがあります。お客あっての仕事ですので、自分を入れると不都合な面が多々あるからです。

最近は副業も盛んになってきて、仕事の片手間で好きなこと、得意なことで小銭を稼ぐ人が増えています。
これは趣味の延長に仕事を置き、好きだからできることになります。

結局は「好き」と「できる」を極端に分けることなく、融合するものなのだろうと思います。
できることが後になって、実は好きに変わることもあります。

自分と会話しながら「好き」と「できる」を試しながら強めていく。
それが自ずと本当の適正になっていくのでしょう。

私は絵の才能はないと自負しています。センスもありません。
でも描きたいので描いています。描かなければやっていられないので描いています。

やりたいこと、それもまた適正なのかもしれません。