各々、得意な分野、好きな分野があると思います。その中で、無意識にも自分と同じ境遇や価値観の人を切望し、引き寄せたりします。
それが「類は友を呼ぶ」というものです。
絵描きは絵描きのコミュニティ、漫画描きは漫画描きのコミュニティを形成しやすいです。
私は漫画ばかり描いている現状ですので、同じ漫画描きさん方とSNSでの相互フォローが多いです。SNSは似た境遇の方を探すには便利なものです。フォロワーさんのフォロワーさんが自分のフォロワーさんなんてこと、しょっちゅうです。
界隈とはどこも狭いのだなと思います。
創作ネタのために多種多様な人に会うことについて
ネタのために人に会うというのも大変失礼なお話ですね。
しかし、こんな人に会えば何かを得られるかも、という気持ちは何かしら持っている。これは否定ができません。
他者こそアイデアの宝庫であり、情報源です。自分が持ち得ない価値観を相手は何かしら持っています。
それが刺激になり、面白いアイデア、創作ネタの材料になります。
しかし、これは自分の類に反するからこそ成り立つことです。類友は自分の写し鏡な場合が多く、落ち着く存在だからです。
自分とはまったく価値観の人と会うには、職場や教育機関、近所づきあいなど、自分には操作できない環境の中に身を置く必要があります。
しかし、偶然に身を置いた環境であっても、それでも自分と似た人々が集まる傾向があるのではと、これまで生きてきて実感します。どこにいても、無意識に一緒にいて居心地のいい人の元にいってしまう、引き寄せてしまう。そんな法則が働いている気がしてなりません。
実は、これは歳を取るごとに顕著に現れてきて、だんだん、価値観がそぐわない人とは相容れられなくなる。体が勝手に拒否してしまうようになります。
直感が鋭い方は、歳若くてもこの感覚があるのではと思います。
私は20代前半の頃は何も考えられない頭がパッパラパーな奴でしたので、当時はそんな自分にふさわしい人々と巡り合ってきました。それでも良き上司ばかりに会えたのは、非常に幸運だっと思います。
それから10年経ちましたが、環境の変化もあり、人間関係はだいぶ変わりました。会う人会う人穏やかな方が多いです。
自分と似た人を引き寄せてしまうなら、ネタ集めとしてはどうなのか・・・という気持ちはなくもありません。しかし、自分とまったく異なる人と交流するというのは、非常に精神力を消費する行動になります。疲れてしまうので、無意識に避けてしまいます。世の中にはエナジーバンパイアもいるので、闇雲に人に会うのは注意しなければいけません。
様々な価値観に触れるには
SNS・動画サイトを見る
違う価値観がネタになる。しかし、それに触れるには精神が疲労する。コロナ禍で人と会いにくい状態。
今は様々な人が発信者となり、SNSや動画サイトに投稿しています。百聞は一見に如かずといいますが、その投稿も一見のうちに入ると思います。本当にSNSは便利ですね。
自分を変える
相手を変えることはできませんが、自分を変えるとことはできます。
自分が変われば、周りの環境が変わります。
環境が変われば、自分に集まる人も変わります。
これは自分の価値観が変わったから起こる現象です。
実際、これが無理なく様々な人と巡り合える道のひとつではと思います。
自分をグレードアップ、あるいはグレードダウンをすると、集まる人も変わり、初期状態の頃と巡り合っていた人達から段階を経ることができます。
自分を変えるには、
- 別分野に興味を持ち調べる・勉強する
- 習慣を見直す・変える
- 目標を決めて行動する
- あいさつをする
以上の例以外にも方法はいくらでもあります。
これは現状よりも上昇志向になる例ですが、逆に堕落を選択する道もあります。それはそれで違う環境に移り変わっていくでしょう。
どうせなら、身になる道を選んだ方が後々お得ではと個人的には思います。
さいごに
アイデアとはその辺に転がっているもので、それに気付くかどうかにかかっています。
インプットが多いほど、それに気付く確率が上がります。だからインプットは欠かせないものです。
しかし、インプットする容量は必ず限界があります。
何事も無理のない範囲内で巡り会い、調査など、こなしていければと思います。