創作について

神作品のクリエイターたちの面構え

映画、漫画、ゲームなど、現在は色々と飽和状態である現代。実は黎明期に立ち帰って当時の作品に触れてみると、奥深く、新しく感じるものがほとんどだったりします。時代が下るにしたがって名作以外がふるい落とされているからという理由もありますが。
当時の神作品たちが鑑賞者に衝撃を与え、その衝撃を受けたクリエイターがさらが神作品を生み出していく。このサイクルは今も機能していれば、様々な縛りで機能不全なところもあります。
しかし、今見ても時代を感じさせない作品が昭和の時代に既にできあがっていた。これは紛れもなく事実であり、この作品たちのような実績がなければ、このエンタメ自体淘汰されていたのかもしれません。
名作には、いったいどのようなパワーがあるのでしょうか。

ひとつ間違いないことは、制作者の作品にかける魂の比重が挙げられると思います。
サブカルチャーとはほとんどが戦後から急成長していきました。当時のクリエイターたちは戦争経験者であり、命の駆け引きを経験してきた猛者たちでした。おまけに戦後から実施された、現代社会のような骨抜き教育は一切受けていません。平和の時代を生きている私たちより、きっと面構えが違っていたと想像ができます。

創作とは幸福な状態よりも、不幸な状態の方が魅力的なものが出来上がる確率が上がります。
不幸な状態、飢餓状態、何がなんでも幸せを掴みとるという必死さが魂の叫びとなり、作品に表れます。アートや小説は特にクリエイターの思想が晒されます。魂の叫びを垣間見てもおかしくないでしょう。
まだ幸福とは程遠かった敗戦国日本。幸せを求めて当時の国民は仕事に遊びに明け暮れていたことでしょう。

だからと言って、私たちも戦争体験をしようなんて露ほどにも思うことはありません。
知らないよりも知ることは大事ですが、映像作品などで疑似的に感じられる範囲でいいと思います。この平和な日常は先人たちのお陰で実現しているのです。
いくら平和な世の中であっても、それに対する闇の部分は必ず存在するはずで、戦時中とは違う顔もまた現れる現代社会。ここを経験している方もまた面構えが違うのでしょう。

いつの時代も、きっとこのような面構えが周囲とは違う人々が名作をつくっていくのだろうと思います。すべてにおいてマイノリティ思考の人々。

私は幸運にも、普通といわれる毎日を今まで送ってきた凡人です。そんな凡人に名作がつくれるのだろうか。きっと続けていけばできると信じています。
そのために、まずは面構えを変えましょう。先人が残してきた名作を鑑賞し、その空気を疑似体験し、理想の面構えを創作します。
クリエイターは欲しいものはなんでもつくってしまえばいいのです。ピンときたものから取り掛かってみましょう。
私はとりあえず、昔の名作を味わおうと思います。