その他雑記

大衆文化から個人文化へ移る社会現象

『新世紀エヴァンゲリオン』が放映された当時、90年代では新しい革命的なアニメとして、この作品の地位は確率されました。
それから約25年が経ち、現在に至るまで、そのような革命的なアニメ作品は発表されていません。きっとこれからもされないでしょう。

というのも、90年代はまだ娯楽が今より少数だったから、一つの作品による社会現象が起こったのではと思います。
インターネットを使う人もごく限られ、まだテレビ視聴が主流の時代でした。ほとんどの家庭が収集する情報も似通っていて流行も生みやすい。

エヴァは、それまでのアニメの常識をことごとく覆していきました。それが視聴者にとって衝撃的で謎も多く考察するファンも多数。
しかし、昔より娯楽溢れるこの時代に、同じくこれまでの常識を覆したアニメが放映されたとして、果たして革命が起きるのか。非常に難しいのではと思います。
一つのコンテンツを大多数が集中すること自体が難しいです。

エヴァ以降は『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』などのブームが記憶に新しいです。
この作品たちは、その時代を反映する映し鏡だから社会現象になりました。
人気作品はどこかしら、その時代、その社会性、人々の気持ちを代弁している要素が入っているものです。

他に社会現象として挙げられるものに2000年代から広まった「萌えブーム」があります。
作品ではありませんが、サブカルチャー全般に多大な影響を与えました。エヴァの次なるサブカル界隈の革命でした。
そしてオタクがコンテンツ化。萌えの派生でメイドやスクール水着などの属性が定着。

そして「萌える」から「尊い」への進化。「推し」「沼」「エモい」などの言葉が生まれます。
キャラを愛でるような意味合いの「萌え」から、そのキャラを敬う信仰心を表す「尊い」への変化。
「推し」「沼」「エモい」は個人がその対象から感じる造語になります。

こうして書き出していくと、ブーム・文化というものが大衆から個人に移っているような気がします。
その場に多数の人がいたとしても、皆さん向いている方向がそれぞれ違うのです。
その個人が向いている方向の分母が多ければ多いほど、それがブームになっていくのですが、すぐにそっぽを向いたりします。
この個人たちの向いている頭を繫ぎ止めることが難しいのでしょうね。

労働する正社員も将来安泰ではなく、フリーランスも増えゆく現代社会です。文化・経済ともにこれまでよりも個人を重視していく文化になっていると思います。
今後起きる社会現象はさらに細分化されるかもしれません。

これは完全なる私の妄想です。
ARやVRなどが進化し当たり前になった日常生活。常にネットを体感して生き、身近な世話はAIなどのロボットがしてくれる。私たちができることは少ない。
ならば、発信者にならないと生きている証明すらできない。
現在は絵師の中でも神絵師などのランク付けがありますが、もしからしたら発信者の質によってランク付けがされたり、そこでできあがった造語がさらなる文化を生み出すかもしれません。

あくまで妄想です。

しかし、今後はさらに個人個人が内包する文化が顕著に現れるだろうと思います。